辛島先生の想い出


 このホームページで紹介する『玄語』の図は、辛島詢士(からしま じゅんし。
故人。医学博士)編纂の『玄語図全影』(自費出版)をコピーし、若干の補正と編
集を加えたものです。編集版なので、著作権上の問題はないと思いますが、正確な
ことは分かりません。若かりしころ(ということは、私もずいぶん歳を取ったのだ
と思います)、辛島先生宅には何度もお邪魔をいたしましたので、そのころの思い
出をここに綴っておきます。

 辛島先生は、ひとことでいいますと明治の大人(たいじん)でした。正確に何年
のお生まれであったかは存じませんが、私がお会いしておりました頃は、もう80
歳ちかいご老体でした。それでも内科医として治療を行なっておりましたし、堂々
たる体躯で、少しも老いを感じさせない方でした。
 その辛島先生が、『玄語』の図に非常に興味をもたれたのは、先生が版画を好ん
で作っておられたことと関係があると思います。芸術家でもあった先生は、暇を見
つけては、絵を描いたり版画を彫ったりしていたようです。このあたり、なんとな
く三浦梅園に似ているところがあります。

 その辛島先生が、あるときガリ版刷りの本の表紙の飾りとしてひょうたんの絵を
彫られたことがありました。その版画の出来不出来は私には分からなかったのです
が、それをある人が大塚富吉(おおつか とみきち)先生という、辛島先生の年来
の友人に尋ねたことがありました。大塚先生は、そのとき「こりゃ、度胸ぞ! 度
胸で描(か)いたもんぞ!」と感服して言われたものでした。
 大塚富吉先生という人も、傑物でした。知人と大塚先生のお宅をお訪ねしたとき
に、先生がある本をお取りになって、いろいろと説明をしてくれました。話の最後
に、「この本は、むかし80円で買(こ)うたもんじゃ。そんとき、土地を買わん
かちゅう話があってのお、そん土地が120円じゃった。40円借金すりゃ土地が
買えたんじゃが、どうしてんこの本が欲しゅうて買うたんじゃ。今じゃその土地が
2000万円ぞ。本買わんで土地を買うちょりゃ、わしはこげん(こんな)貧乏し
ちょらんぞ」と、真顔で言いました。

 ご両人は書に造詣が深く、梅園の書をよく知っておりました。あるとき大塚先生
のお宅に辛島先生とお伺いしましたところ「お前に見せたい書がある」と、得意げ
に辛島先生に言いました。「何か? もったいぶらんで早う見せんか!」と辛島先
生が言いましたところ、さっと掛け軸を一幅、壁に掛けたのです。梅園の書でした。
 それを見たとたん、辛島先生は「これを俺に見するな! どこから持ってきたん
か!」と大声をお出しになりまして、しばらく部屋をうろうろしておりました。そ
してしばらく間をおいて「・・・・いい書じゃのう。欲しいのお。」と独り言のよ
うにつぶやきました。

 私が三浦梅園の研究を通じて得たもののひとつに、こういう明治の大人とのふれ
あいがありました。明治という時代は大きかったと、つくづく思います。20歳を
少し過ぎたばかりの頃、こういう人々に出会えたことが、その後の私の人生(ひと
ことで言えば、金のためには生きない、学問のために生きるという生き方)を形づ
くってくれたものと思われます。

 その辛島先生は、偉大な発明をしております。胃のレントゲン透視に使うバリウ
ムの製法特許です。先生は、それを公開特許にしたために、報酬は得られませんで
した。特許証をレントゲンの機械の横にセロハンテープか何かでぺたっと貼り付け
ておりました。あるとき私に、「これを公開せんかったらのお、今ごろ、大金持ち
ぞ」と笑いながら仰いました。
 たしかに特許を取っていれば、とんでもない金額になっていたでしょう。しかし、
先生は「医療は金に換えるべきものではない」と、きっぱり言っておりました。

 そういう先生でした。私が、このホームページに用いた図は、その辛島先生が作
られた『玄語図全影』(出版部数300冊)の第118冊目で、「しっかり勉強せ
えよ」と言って手渡しでくれたものです。以来、20数年間、この本を手放したこ
とはありませんし、一生涯、手放すことはないでしょう。私の『玄語』研究は、辛
島先生の『玄語図全影』がなければこの世に存在しなかったものなのです。

 余談ですが、私は、鍼灸マッサージ業を生業としております。35歳の時に免許
を取得しました。ある時期、別府の治療院に務めていたことがあるのですが、その
ときある患者さんのお父さんを治療したことがあります。その人は、肩の筋肉を痛
めていたのですが、初期の治療が災いして、症状が悪化していたのでした。本人も、
そのことを知っていたのですが、「一生懸命治療してくれたのだから、不足はない」
ときっぱりと言っていました。私はそのとき「この人が、私の人生で会う最後の明
治人だろう・・・・」と、思ったのでした。これらの人々を通じて、明治の風を感
じ取れたことは、私の人生に非常に大きな影響を及ぼしました。

 私を教育してくれたのは、学校でも、教科書でもなく、これらの明治の大人たち
でした。



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